大企業の時代の終わり

モジュール化とネットワークを前提とするイノベーションの時代において、大企業という枠組みってもう古いというしかない。

かつて、トラストやコンツェルンの形態をとって、企業集団を形成して、トップダウンで資源配分を行っていく構造が効率的であった時代があった。
だが、その時でさえ、問題は、意志決定がトップダウンでなされることではなく、下からの合意形成によって経営がなされていたので、効率的とはいえなかった。
トラストやコンツェルンを形成する理由はトランザクションコスト(取引費用)を下げる事が可能であるからだ。日本の系列企業間は、基本契約が前提としてあって、個別契約は簡単な文面で発注するだけで可能だったりもする。基本契約がなければ、同業他社の存在を前提とした入札を前提としてプロジェクトを進めなくてはならず、契約を結ぶ場合でさえ、法務や経営層の合意の下でのその都度の契約書を取り交わす必要が出てくる。有り体にいって、時間がかかるのだ。
そこまで苦労したとしても、出来上がってくる成果物の品質や安定供給に都度都度のばらつきがあって、その都度、リスクを抱え込まざるをえない。

そうした理由で、かつて、フォードだったり、GMだったりは巨大化したのだし、トヨタだって、下請けを叩き上げる事で大成功を収めた。

だが、今は、こうした系列組織の運営自体にコストがかかる。何故なら、経済は、安定高成長の時代から、不安定な低成長の時代に移行したからだ。経済の牽引力は、イノベーションとなり、内需がそれを支える時代となった。

例えば、NTTドコモでさえ、親NTTよりも規模も大きければ収益構造も良いのだ。そしてさらに、給与体系もドコモの方が上という不思議な構造を持っている。

すなわち、たった10年や20年の時間でその時代の基軸産業や基軸企業集団が変わっていく時代となったところが、かつてのトラストやコンツェルンが機能不全に陥っている理由がある。そこで生じているのは、人間の人生を80年とした場合、労働力として機能するのは、40年であって、10年でイノベーションが生じるとすれば4回も人生をやり直す必要があるということだ。だが、人間には老化があり、高度なスキルを取得できる年齢には限りがあるということが問題を作り出す。

結果としてどうなるかと言えば、企業集団内部での労働者、組合組織、そして、中間経営層たちの保守化という事態だ。将棋や囲碁の世界から、スポーツ選手たち、作家たち、映画監督たち、音楽家、美術家などのアーティストの世界、そしてアカデミックな世界、どこでも良いが、本当のトップランナーたちは数十年単位で、トップランナーだ。スポーツ選手たちは、体力の衰えもあるが、そのプレイヤーである時間の限り、トップであり続ける。

もちろん、その年に最も優秀だった人たちというのは存在し、相対的に強いトップは良く入れ替わるのだ。すなわち、トップを超一流とした場合、超一流は超なので、時間を超えて存在する一方で、普通の一流クラスはかなり入れ替わる。数年単位でごろっとメンバが入れ替わる事が多いのだ。かつて、巨人のV9の時代や西武の黄金時代は、例外で、その間、ほとんど超一流はもちろん、主要メンバが入れ替わらなかったところに特徴がある。

企業でもこれと同じ事が生じてしまう。トップたちは、構想力、リーダシップ、才能、実力、カリスマ性、熱意、精神力、人格、外見、家庭生活全てにおいて総合力で勝負して勝っている事が多いが、経営トップとは異なる中間層リーダたちは、人生のなかで何度も浮き沈みをするし、入れ替わりもする。普通のメンバにいたっては尚更だ。担当として優秀でも、数年間、その立場が変わらなければ腐ってしまうのが普通だろう。

ここに問題がある。今までの日本の企業では、数年間の短い時代で、組織平行移動を繰り返す事で人間たちの人生の入れ替わりをコントロールし、リスクを管理して、組織を維持運営してきた。だが、イノベーションの速度は、こうした人事管理の仕組みを危機に陥れる。すなわち、平行移動する組織が数年後にはなくなる可能性が高いのだ。イノベーションや時代の変化に対して、緩やかなソフトランディングが不可能にある。もし、ソフトランディングをしようとするものなら、世界市場から閉め出されてしまう。

かつて、20年前、手書きで仕事をしている部署にワープロを導入することは不可能であった。ワープロを導入すれば、今まで5人でやってきたことが1人で済むようになり、その人たちの行き場がなくなる、というのが、行政や企業で問題になっていた。だから、コンピュータ化を進めない、というわけだ。これに近い事が、今でも、企業で起こっている。

ではどうなるか。全体的な賃金を切り詰めて、過剰人員のロスを吸収するしかない。当然、投資に回すべきお金が小さくなる。 賃金が安ければ内需も小さくなる。そして、同じような商品やデフレ的な産業が華やかに隆盛をきたす。停滞する平準化の時代の到来と言って良いだろう。
こうした時代は、市場の競争で勝利していくことは可能なのだろうか。
もちろん、イノベーションによる個人が持っているスキルの陳腐化という問題に対して、そのリスクを個人が全て責任を引き受ける事は難しい。50歳から突然、国際営業部に配属され、新しく、彼がなんとかできる言語であった英語だけならともかく、その他の数カ国語の取得を半年とかで命じられれば、普通の技術職のメンバなら、ほとんどの場合、リタイアしてしまうだろう。

今、大企業で生じているのは、組織を維持運営するトランザクションコストが膨大になって、非効率な運営をせざるを得ないと言うことではないのだろうか。日本全体がそういう状況になってしまって、IT業界は滅びに向かっていく。